残す作業。

この約一年間、色々なことが信じれないくらいあって

ずっと自分だけのために書き綴っていた

誰も知らなくていいし、むしろ知ってほしくないことだってあるし

けれどきっと忘れては絶対ならない


それが一体、何なのかを語るつもりはさらさらないけど、

ここに戻ってきたのは、そういうことだ。


私のやらないといけない残すという作業のために。


私はきっと、生涯、この一年に思ったこと、感じたこと、経験したことを何かに残そうとする人生を送るのではないだろうか。


いつか、話したことがあるかもしれないが、私は今の主流となっている?キャプションなるものが大嫌いだ。

そんなの後付けでどうにでもなるし、そもそも人のアートなる考え方の邪魔をしているにすぎないと思う。

決して押し付けてはいけない。アートは教科書ではない。作者は死んでも作品は永遠に生きて私たちに何かを投げかけている。キャプションのみの意味しか持たないものなんて意味ないのではないか。作品の可能性をバカにしている。


私は、今言葉では表せない何かを頭いっぱいに両の手いっぱいに抱えている。

今は全く素性を明かさないこの感情が少しずつ少しずつ私を突き動かしている。



二日前から熱発し40度をキープしている、声は久しく出していない。

そんな今だからこそ、こんなに静かに物事を考えているのかもしれない。